「藤原ともこ」のホームページにお越しくださいまして、誠にありがとうございます。

8172人の方がお心を注いでくださいました。投票日は、少し曇った暗い空でした。

出かけるのがおっくうになるような、その肌寒い中をわざわざ投票所まで足をお運びくださって、そして私の名前を一文字ひともじ書いてくださった。

まちがいなくみなさまが私を市会へ送り出してくださったのです。

身支度をして投票所に向われるときのみなさまのお心持を、

そして文字を書いておられるお姿を思い浮かべるたび、いまでも涙がこみあげてきます。

この胸にせまる思いはきっとこの先も忘れることはできないと思います。

誰もが苦しみのない生活を手に入れたいと思っています。

自分の育った大好きな神戸のために働くことのできる幸せをかみしめながら、身の丈にあったそして一市民としての目線を持ち続けることを忘れず努力していく所存でございます。

どうぞ今後とも、お見守りお導きくださいませ。

2007年6月11日

                  神戸市会議員 藤原ともこ


・震災などの自然災害にそなえて……危機管理の万全をめざす。

(有事に即対応できるように、北区内の統制と他区との連携ネットを構成しておくこと)

われわれは阪神淡路大震災での教訓を無駄にしないこと。

(自衛隊駐屯避難所西宮市立香櫨園小学校にボランティア隊員として派遣。主幹秘書)

関西学院は震災発生後、関西学院救援ボランティア隊を2000人を組織。

各人の意識、スタンスは「善意」の労働力奉仕であるが、意思は「親切」である上で、労働は強制でなく自由意志であるとした上で、全員を登録させ当局の費用でボランティア保険に加入させた上で各避難所に派遣した。

上記避難所は、自衛隊の駐在により高機能の避難所であった。

兵庫医大の医師・看護士の派遣もあり、1教室に医務室も設置。

そのため、食料のほかに、医薬品の支援も豊富に行われた数少ない避難所であった。

給水車・食料物資車も比較的早い時期に到着、近隣被災地の本部的機能を果たしていた。

このような部外からの複数の応援部隊が入り、自然教職員も出勤待機する連携・連動機能が形成された。

テント本部を設け、数多く炊き出しを行い、ボランティアの手で近隣避難所に配給を行うこともできた。

また、地元議員がいたために行政への要請がされたことが非常に大きかった。

倒壊家屋の廃材を回収し、運動場で絶えず火を燃やし生活用水なる湯を沸かすなど、人材を大阪市西成区から人夫派遣するなど、屋外生活のポテンシャルを持たない人々の助けとなる采配を得た。

それでも、日がたつにつれ暖房・仕切りのない体育館で寝泊りする中、100人単位でインフルエンザ等に感染する避難者が増えた。水道が止まっているため、不衛生な環境、トイレは詰まり排泄汚物があふれ、排泄する場所がなくなる、などの悪環境が進み、3月には自治体(町内会)同士の確執による刃傷沙汰が発生するに至った。

このような巨大避難所でも、日常考えられない悪状況となるのを止められなかった。

その他の、近隣のいたるところに自然発生的にできた小さな避難所は言うまでも無く、さらなる悪条件が重なっていた。

動脈的な避難所が現実に水・食料を絶たれたのは、わずか3日で、それからは岡山・京都・近隣都府県をはじめとして、全国の自治体から豊富な救援物資が届いた。最も必要とされた給水車、また岡山から牛乳が1000本届くなど、食料で困ることは数日後からなくなった。

 また、支援依頼ほかにも各自治体からの自発的支援が重複し、途中からは重複した給水車、物資トラックを断るようになった次第。水道が使えず、火も使えないため、調理することができない避難所では、乾物等の保存食より、なにより調理した新鮮な「生もの」が喜ばれた。弁当など配給されると「人間らしい」気になる、と涙するものもあった。しかし、賞味期限のある生ものは非難人員をかんがみて計画性をもって搬入される必要があった。

これがのちには、過剰食料を消化できず廃棄せねばならなくなり、たちまちその廃棄機能もないため、廃棄場所に困ることになる。近隣の中小避難所では、食物・救援物資が乏しいことにより、体力が衰え病になる者が増えていたにもかかわらず、このようなことが起こっていた。

物資が来ない、ということは、情報が来ない、ということでもある。また、言い換えれば中央にも彼らの現状が把握されていないことでもあり、ライフラインが絶たれている上に、情報が絶たれ、取り残されたかたちとなり、不安が募り、さらに精神状態・健康状態は悪化の一途をたどる。一方では、過剰な食物を廃棄し、腐敗による不衛生な環境を懸念し、すぐそばでは、食料不足に耐えていたというようなことが日常的に起こっていた。

物資配給や、行政からの伝達事項も満足に伝わらず、不定期に行われていた若い学生ボランティアの巡回によって初めて情報が伝わり、また病人がいることが本部に知らされることも少なくなかった。

このような非難現場の不具合・惨事を、自然災害後の二次的災害として取り返しのつかないダメージにしないために、行政・市民レベルで日頃のネットワークを充実させることによって十分改善されることが可能であると思われる。阪神淡路大震災における非難現場で議員の役割、また効果の大きいことを痛感した次第である。行政からの通達を現場に伝える、また支援依頼・現状報告を行政に揚げる、というのはこのうえない貢献につながった。

北区は自然にめぐまれた美しい町である一方、ともすれば災害時ガス・水道・電気等、ライフラインを絶たれた場合、さらに電車・国道の破損等によって交通手段を絶たれた場合、「平地」と遮断され、孤立してしまう、という危険性をはらんでいる。遮断された状態で、日常生活を営むのは非常に困難な状態となる。

災害時に備え、日頃無理なくできる自助努力として

・北区の広い土地にめぐまれた利点を生かし、広い運動場また校舎(建物)の有事の際の避難所の確保(選定)をする。

・行政から、どれだけの物資(伝達機器、食料物資)が供給されるかの申し合わせ。

・各自治会・自治体において、市会議員との合同会議をもって、危機管理のリーダーを決め各役割り分担を持たせた委員を決める。

この際、各団体ごとに役割分担や内容が異なると統制が取れないので、合同会議(横の連携を持たせ、コンセンサスをとっておくため)をもち、各委員の責任内容は統一させておく必要がある。最終的には、北区だけの限定でしか機能しないようでは意味がないので、市内全区でこれを統一、意思の疎通と機能の一致を図ることで磐石なる危機管理体制を敷くことができる。

・平素から、危機管理委員同士、義務的にではなく親睦を深め自助関係にあることを認識し、連帯感から生まれる安心感のなかで理想的な協力体制にある、という使命感と安心感にもとづいたネットワークを認識するために、専門家を呼んでヒアリングするなどのラフな勉強会を兼ねたミーティングを持つことが必要である。

前回震災の際、事前に市役所に近い将来地震が起こりうる危険性を何度も説いていた地理の大学教授がいた。しかし、結局聞き入れて市民に報道してもらうことかなわず、市民には予告がおこなわれなかった、という遺憾なる事実がある。

市民レベルでも、専門家から知識を得て、大勢の声にしてゆけば、このようなことも動かせることがかなってゆくのではないか、と思われる。

・そのためにも、同じ情報や知識が供給され、危機感および安心感の統一を図るためにも、

北区内議員はもちろんのこと、市内各区議員同士合同の危機管理委員会議をもつことが求められ、有事の際には、どの地区が被災しようと、あわてることなく、現地での対応が行われ、また、外部から日頃のコンセンサスと勉強に基づいた迅速で確実な支援体制が取られることが望まれる。

・どこでもそうであるが、現在までの傾向として、被災当時、決して少なくないボランティア志願者が集まっている。それが、実働、また労働力の継続に結びつかないのには原因がある。まず、健康な若い労働力がせっかく集まっているにもかかわらず、現場で指令塔がなければ、右往左往することである。前向きな協力心があるものの、不慣れであればその場で気後れがして、何をしたらいいのか分からない。指揮をとる者がいないため、やる気はあってもおろおろして、結局次の日から現場に行かなくなる。現場でボランティア同士、指揮を取りたがり、衝突、内輪もめになり、両方の労働力を失ってしまう。など、非常に惜しいことがよく起こっている。  

そのためにも、日頃から、いざというときに対応できるように役割分担を決め、リーダーが司令塔として、委員の統制をはかり適材適所にせっかくの労働力を配置できるよう、行政からの新しい、そして的確な情報を現場に迅速に伝え安心して指導者たちに従えるよう、議員は動脈ともいえるパイプ役を果たすことが望まれるし、また、議員であるからこそできる貴重な役割である。

・また、せっかくの労働力の継続を損なうものとして、ボランティアへのケアがある。

すべて持ち出しで、また、危険な場面も少なくなく、ケガをする危険性もはらむ。

彼らが怪我をしたら、新たなトラブルが起こる。そのため、危険な場所、体力的に負担のあることは嫌がられるようになり、その結果、もっとも支援が必要なところに手を差し伸べることがなくなってしまう、というのが憂えるべき現状である。継続して労働してもらうことが少なくなり、行ったり行かなかったり(強制できるものではないのでやむをえないのではあるが)、今日人手があっても、明日来てもらえるかどうかわからない、といった状態であてに出来ないため、不安が解消されることがない。災害時は、時間との闘いである。即座に対応すれば、失わずにすんだ犠牲も少なくない。

 まず、せっかくの志願者ボランティアが思う存分働けるように、また、進んで現場に出てもらえるように、登録したと同時に当局・行政の費用負担にてボランティア保険に入れてあげるようにするべきである。これは、彼らへの誠実なるケアのみでなく、現状の数倍の労働力を継続して確保することを実現させることにつながる。これを、彼らに負担させることはまず避けなければ、せっかくの協力体制をこの先失ってしまうことを意味する。1人あたり、1日1〜2円の換算になるが、一時的に加入の次期が重なることが考えられるので、数百円×頭数の費用が必要となる。一時的出費の捻出には市の理解と采配が必要である。この理解を取り付けることも、市議の尽力にゆだねられるところではないかと思う。

 これが実現すれば、神戸市のこの例はモデルケースとなって、やがて全国にも広がってゆくのではないか、と思う。全国に広がれば、万が一の際、近隣地域だけでなく、全国レベルで確実・的確な支援体制が迅速に取られることになる。その司令塔が神戸市である、というのは、いわば被災したわれわれが犠牲を無駄にせず、教訓として全国にフィードバックした全国的貢献を果たしたといえる。

行政、そして議員たちの機能がいかに災害時、市民に貢献することができるかということを身をもって体験した。しかし、行政につなぐ議員たちのできることがいかに多くあるか、ということは意外と知られていないとも思われる。

それが被災した我々の義務でもあり、我々にしか出来えないことでもあります。

ぜひ、危機管理の現場での対応体制の骨子を北区でつくって提言し、市内議員によびかけ、体制を構築し、神戸市をモデルケースにやがて全国に発信してゆけるよう是非実現したいと思います。

藤原ともこは北区全域をまわり街宣活動を続けています。

2007年2月12日、新人女性予定候補者2名と辻泰弘県連代表と街頭演説。(元町)

2007年12月3日 民主党兵庫県連パーティが開催されました。兵庫県会議員竹内ひであきさんと藤原ともこが司会をしました。ゲストは前原誠司副代表です。

2月9日 岡田克也副代表と

 


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